自分だから出来る事。出来ない事

こんばんわ♪十六夜結依菜です(。・ω・)ノ゙今日は『自分だから出来る事。出来ない事』と言うお話しをしようと思います♪

世の中には色んな情報があり溢れています。
『これをやったら、鬱がよくなった』とか『年収~円』ネガティブな情報からポジティブな情報までありとあらゆるモノ。

『高価なものを買ったよ』と友人から言われたり『私の子どもがレベルの高い学校へいった』とか『痩せたんだー』『普通○○でしょ?』とか『え?知らないの?』とか。

実際比べてしまう事で『自分は劣ってるんだ』と思えばネガティブになったり
『自分は勝ってる』と思えばポジティブな気持ちになる事もある
と思います(。・ω・)ノ゙

そんな終わりなき戦い(?)を続けている人に読んで欲しいお話しになります♪

スポンサーリンク

終わりなき戦いを挑んでるのは誰?

私がそうだったのですが『大人気商品』とか『これ(高いモノ)を買ったんだ♡』と言われれば欲しくなりましたし、持ってないだけで何故か劣ってるような気がしていました。

自分に自信がなかったんですね(/ω\*)

ありとあらゆる「良いモノ」が欲しかったし絶対に損はしたくなかったのです。しかも完全完璧に揃っていないと落ち着かない。

例え話ですが、漫画本。
1巻を自分で買い、2巻を友達に貸してもらう。3巻は自分で買う。四巻は友達に借りる。

全部揃ってないと嫌なんです(/ω\*)
折角借りて、内容を理解したとしても手元にないとなぜか落ち着かない・・・。

読まないのに、揃える為に買ってしまったり。
結果お金も減るし、友達に借りたと言う記憶すら残りません♪

本当に欲しくて、何度も読み返す本なら別なのでしょうが『ただ揃えたいだけ』は、まず記憶に残りません。

大人の力で『お金で何とかなる事』と言うのは記憶に残りにくいと思うんです(。・ω・)ノ゙(私利私欲に使う事です)

私の職業がパチ屋さんなので、余計そう思うのでしょうが1万円札なんかは湯水の如く消えていきます。
ギャンブルをしてる人達も一緒で『自分は絶対に負けたくない』むしろ『勝ちたい』と思うから熱くなってしまうのでしょうが、店員さんはトラブルの為にいるので『勝った』『負けた』は別にどちらでもいいんです(/ω\*)

むしろ負けてくれた方がry・・・。

『昨日はさー○万負けてさーほんとこの店は・・・』『昨日は調子良くてさ♪○○万勝って』と報告してくれるお客さんが沢山いますが、そこはポーカーフェイス。お客さんの気持ちになって悲しんだり、喜んだりはしますが『本人』ではありませんΣ(‘ω’ノ)ノ

どんなに危うい状態だったか?どんなに絶好調なのかは出玉やメダル、購入する速さを見ていれば分かりますが『勿体ないな』と思うのが私の本心です。

ここで面白いのはトントンの人は何も言わない事。(言っても笑って済ませられるレベル)

単刀直入に言うと・・・(自分が)きでやってるんですよね?と言う事になる訳です(。・ω・)ノ゙

どんぐりの背比べ。

自分が比べてしまう原因を考えるとやっぱり『今』の状態なんです。
現在自分の状態より優れているか?優れていないか?同じ様な人と言うのは印象に残らないかスルー出来るものなんですね(/ω\*)

どんぐりの背比べと言う言葉がありますが、自分に当てはめると本当に同じどんぐりなのか?
本当はおっきい木と比べてないか?と考えると、自分は今すぐにでっかくなれんわ(´;ω;`)とか、自分違う実だったわ・・・Σ(‘ω’ノ)ノとか『本来の目的』が分かってくる不思議。

実際『比べ』て「ネガティブ」「ポジティブ」になる行為は知らずのうちに『敵を作る』と言う事なのですよΣ(‘ω’ノ)ノなんでそれをしてしまうか?と言うと家庭環境とか学校の教育云々があるので、ここではそんな過去にはとらわれない方法を説明出来たらなって思うのです(`・ω・´)ゞ

本当は皆分かっている事なのでしょうが『同じ人間』であって『魂の持ち主』
比べてしまう対象がいたら写し鏡の人間です。

講演家の鴨頭嘉人さんがおっしゃっていましたが『人が人を殺す理由は【愛】か【金】の2つ』なんですね(´;ω;`)人が人を殺してしまうと言うのは「憎悪」の心になります。

例を出します。
『好きすぎて、他の悪い男に引っかからないように殺しました』
『親が憎くて殺しました』

上の例文は、好きすぎて『自分の通りになるか心配で殺しました』
『親が怖かったので殺しました』

共通点は?と言うと自己愛なんですね。自分を守る為の防衛本能が行き過ぎるとねじ曲がって変な方向に行ってしまうと考えています(。・ω・)ノ゙自殺も一緒。

元から無人島で一人で生活をし、動物とともに生きると言う生活をしていれば『比べる』と言う言葉すら知らないだろうし『個性』として認識できたはずなのです。(ジャングルで生活をしましょう!!と言ってるわけではありません)

比べると言う行為は今の時代たと『自分の立ち位置を再認識する』と言った方がポジティブなんじゃないかな?と思います(`・ω・´)ゞ

自分だから出来る事。出来ない事の再確認。

『比べる』と言う事は自分。即ち本人だから出来る事であって、基準は千差万別。
その事柄で『比べる』人がいれば『比べない』人もいる。ポジティブになる人もいれば、ネガティブになる人もいるのです(`・ω・´)ゞ

比べてしまうのはそこに『自分が存在している』『自己の再認識』

同じ様になりたいなと思えばそこ(ゴール)にたってない自分がいて、そうなりたくないなと思えばならない自分がいるだけの話です。

そのこ中心に自分は存在しています。
Twitterやブログ、youtube色んな情報を目にすることがあると思いますが比べなくていいんですね(。・ω・)ノ゙

私の友人にスピリチュアルや神様、死んだらどうなる?守護霊さん?なにそれオイシイノ?と言う人がいますが『比べたって、しゃーねーしなぁ』で蹴ります♪

『なんで?羨ましくないの?』
『んー羨ましいというか・・・それ幸せなの?』

自己顕示欲と他者承認欲求が強い世の中です。そんな中で自分を見つけるのは難しいかもしれませんが『自分だから出来る事』を見つけて楽しくポジティブに生きれたらなと思うのです。(因みに自己顕示欲と他者承認欲求の中に自分の幸せなんかありません。その場かぎりです)

自己肯定感『私はこれでいいんだ』『私だから大丈夫』生まれてくる時の約束で、自分が無理難題だと思われる課題(宿命、因果)を背負ってきていますがクリア出来るようには設定されているのです(。・ω・)ノ゙

終わりなき戦いを終わらせるのは他ならぬ『自分自身』です(`・ω・´)ゞ

 

ちょっとややこしい話になってしまいましたが、本当の幸せと言うものはやっぱり自分で決めるものなんですね♪人を基準にしていると終わりなき戦いが待っていますΣ(‘ω’ノ)ノ自分の好きな事、ポジティブになれる事を探して熱中すると周りの雑音も気にならなくなります。

最後まで読んで下さって有難うございました(。・ω・)ノ゙結依菜でした☆


スポンサーリンク