お盆と言えば、迎え盆(`・ω・´)ゞなのだけど、時代が変われば形式も変わる?
こんにちわ(。・ω・)ノ゙十六夜結依菜です☆迎え盆・送り盆が過ぎましたね☆
うちのお盆は?と言うと
何故か『父が怒り出す』と言う風物詩付きです。
父は脳梗塞をしていて、思うよう日常生活が出来ない(足を引きずって歩いたり、呂律が回らなくて何をいっているのか分からない。私を父の妹と間違える。なんかの拍子に怒り出す)のです。
こういっては何なのですが、友達もいません。
それに、私は弟もいるのですがお互いに実家には住んでいませんヽ(・ω・)/
昔と今の比較、今後どうなっていくんだろう?と言うお話を自分なりにまとめてみました♪
その昔、お盆は物凄いイベントだった(`・ω・´)ゞ
私は本家の長女なのですが、それはもう大イベントだったのです。
お盆前になれば、提灯や仏様の仏壇を飾り付けする赤や紫、黄色の紙を売ってくれる大きな人力車(?)が来て必要な物を購入。
家で取れる、ほおずきや水に漬けて飾る小さなピンク色の花。
かまどではうどんを茹でたり、小豆を茹でて、もち米を炊きおはぎを作ったり。
本家にいた女性陣は天婦羅を揚げて、金平やお刺身。色んな料理を用意しました。
『どこどこの親戚がくる』とか『〇〇ちゃんちが来る』とか。
実際、聞いていても親戚関係はよく分からなかったのでお手伝いに回っていました。
小さかった頃の私は、提灯で遊ぶのが好きでしたヽ(・ω・)/
お迎えに行った後も、提灯に火をつけて庭先を探索しに行ったり。
お盆やお正月にしか会わない親戚の子と遊んだり。
中学になると、お手伝いがだんだんめんどくさくなってきます(´・ω・`)
高校の時なんか、数えるくらいしかお手伝いしなかったんじゃないかな?
今になると、ちゃんとお手伝いしておけば良かったなとおもうのですが、若気のいたりもありまして・・・。
ご先祖様を敬う気持ちはあっても『毎年毎年・・・めんどくさいな・・・』と思っていました。
やっぱり来る人数は減るもので、だんだん手抜きになっていく
多い時で一日で7人ぐらいの親戚の方、隣組の方が家にやってきていた(確かそれが3日間続く)のですが、次第に人数は減っていきます。
と言うのは親戚の子どもも、大きくなりめんどくさくなる(恥ずかしかったのかもしれない?)
お年寄りの親戚さんは、足や体の不調でだんだんと集まらなくなってきました。
もちろん、料理もかまどで作るほどの事もなくなり・・・。
コンロで使える大きめの鍋になり、最終的にはお手伝いさん(嫁に行った父の妹)も来なくなりました。
(出来合いの物も取り入れるようになったしね)
本格的に集まると言うお盆が無くなったのは、祖父(父親の父)が亡くなってからだと思います。
父の『もう、集まりはやらねぇんだ。隣組の付き合いはこれっきりにする』と言うのがきっかけで身内だけのお盆になったのです。
成人した私は、隣組とか親戚付き合いがめんどくさいなと思っていましたし。
(私『こんにちわ』隣組or親戚さん『あら~(/ω\)結依菜ちゃん~すっかりイイお嬢さんになっちゃって♡』私『いえいえ(/ω\)お元気そうでなりよりです』←って誰だか分からん・・・。そして後から聞く。そしてまた忘れるの繰り返し)
それに、自分も仕事があります。
サービス業をしていた私がお盆休みが取れるはずもなく・・・。
仕事前に実家に寄って、お線香をあげるだけ。(結依菜は元気に仕事をしておりますっ!!いってきます(`・ω・´)ゞ)
と心の中で唱えて、お仕事に直行です。
そして、最終的には『ごめん。仕事なんだ』でお線香あげる事さえも、断っていました|ω・`)忙しかったんだ・・・。
今年はお迎えには行ってみた(`・ω・´)ゞ
求職中の私。今年は何年かぶりに父に電話をして『迎え盆は私が実家に行くわ』と言う話をして(誤解があると困るので同一県内、同一市内)お迎えに行く事にしました。
でも、やっぱり父は相変わらずでした。
方向音痴な私は、お墓までの道を何となくしか覚えていない(/ω\)
昔は歩いてお迎えだったのですが、今は歩いてお迎えです。
まず怒鳴られたのが(怒られた?自分の思い道理にならないから?)
お線香を付けるときでした(/ω\)
お線香はお線香をつける、専用の所でつけるのですが・・・。
1束がなかなかつけられない(´・ω・`)
父『だーからぁ!!真ん中につけなきゃしょうがなかんべなっ!!』
あぁ・・・今年もキタかΣ(‘ω’ノ)ノ
そして、火の神様と教わっていた仏様(後から分かったのですがこの仏様は不動明王)にお線香をあげ、無縁仏やお坊さんのお墓に一本づつお線香をあげていきます。
ここでもまた、私がやらかす。
お線香って、束で持っていると燃えるんです。
父『広げて持たなきゃ、燃えるに決まってるんだんべっ!?そんなんじゃ、いつまでたっても消えねーよっ!!』
お線香を束で持つ時は広げて持ってくださいね(/ω\)♪
ご先祖様をお迎えに行って車まで歩いてい時。後ろから来た車に気づいた私は、父の腕にそっと手をかけ
『車来てるから危ないよ(´・ω・`)』と側道に寄せたのですが・・・。
振り払われるヽ(・ω・)/
その後も色々エピソードはあったのですが、昔の私なら『キレ』てたでしょう(`・ω・´)ゞ
『キレるのは良くない』とスピリチュアルでは良く言われていますし、脳科学的にも証明されているそうです。
何より、時間が勿体ない。
とその時は思えなくても、普通にしている(演じているのが一番楽です)
父の事を思えば、脳梗塞をしてしまって思うように動かない体と言う事もありますし。
それに、母とも離婚をしています。
暴力的だった父は性格が丸くなる事なく、友達もいない。
家のお掃除も自分で綺麗に出来るハズもなく、ゴミや埃だらけ。
なぜ、私が実家に行ってやってあげないのか?と言うと、こんな事を毎回言われてやりたく無いから。
ご先祖様は喜んでおられるんだろうか?(´・ω・`)
お盆が来る度、私は疑問に思っていたのです。怒鳴り散らす父を見てご先祖様は喜んでおられるのかなぁ?と。
本来であれば、綺麗なお家、仲のいい家族(?)で出迎えてあげた方が良いのでしょうが、理想は理想であって現状とは違うもの。
こんだけ毎回キレる父がいきなり優しくなっても、違和感がありますし。
今更どう仲よくすればいいのかも分かりませんし、何を言ってもこんな感じ|ω・`)
なんかの拍子に距離は近くなるのかもしれませんが、そのきっかけもないまま。
家族の関係って難しいんだなぁとは思うのですが、毎回お盆の度にこんな事を考えていてもしょうがないと言う事も分かっているんですけどね|ω・`)
自分の事を少しだけ書きますと、やっぱり育てられた環境ってあると思うんですよね。
小さい時に言われた『金さえあれば、子どもなんて育つ』とか『家にいないでさっさと出ていけ』とか。
それでも、一応私が子宮頸がんの疑いがあった時は『緑茶を飲むとイイらしい(`・ω・´)ゞ』とか『精神病を治す本を買ってきた(`・ω・´)ゞ』と言っていた過去もあります。
怒鳴られるのは嫌だし、心無い言葉も心に刺さるので苦手。
父も私に対して接し方が分からないのでしょうが、私も分からない(`・ω・´)ゞ
そんな日常に善悪を付けづに見守って下さる、ご先祖様なのでそれは、それでいいのだと思うのです。
結依菜は元気でやっております(`・ω・´)ゞ
結局、送り盆は行っていない(´・ω・`)
私はスピリチュアルが大好きです(/ω\)人の魂ってあると思っていますし、神様もいると思っています。
勿論、ご先祖様も見守ってくださっていると考えていますし、守護霊とか世の中不思議な事なんて沢山あるよね♪って。
それでも、今回は送り盆には行きませんでした。
父に怒鳴られるのは嫌だし、なんとも言えない気持ちになるのが嫌だったからです。
行かないくらいで、恨むご先祖様なんて心が狭いと思いますし。
ずっと、見守ってくださっているのが仏様なのです。
お盆の用意もあれだけ手伝わされたのに、手順なんて全然覚えてないし(どうしてお迎えにいったら足を洗うのか未だに分かりません)気を付けてないと送り盆の日にちすら忘れます(´・ω・`)
父にしてみれば、父の父や母(私にとって祖父、祖母)がご先祖様と同じお墓に入っているので絶対に欠かせないイベントになっているのでしょうが・・・。
何となくですけど、手を合わせて心の中で『元気にやっています』って言えば届きそうな気がします。
(霊感は無いのですが)
結局は気持ちなんだろうなって。霊になってしまえば、霊感の無い人には見えませんし、何処にいるかも分からない。それでも、お盆と言う特別な日があるから霊と言うものを皆さん感覚的に感じれるんじゃないのかな?と思うのです。
これからどうなる?お盆の仕組み(´・ω・`)
これは、本当に私の予測です|ω・`)
お盆と言う風習は残ると思うのですが、カッチカチな飾り付けとか、お金をもっていかなくちゃいけないって無くなっていくと思うのです。全部と言う訳じゃなくて、古い仕来りが根強く残っている所はカチカチにやると思いますが・・・。
送り盆の残ったお団子を食べると風邪をひかないとか、残して家に帰ってはいけないとか。
お墓で転んだら髪の毛抜かなくちゃいけないとか。
お盆シーズンに虫を捕まえてはいけないとか。
今回、迎え盆の時に1度実家に帰ったのですが『仕来りって何だったんだろうな?』と思うのです。
本来は、皆が楽しく過ごせるはず(?)だったお盆と言う概念も時代によって変わってきてるんじゃないのかな?と思うのです。天婦羅や金平、お刺身、桃、巨峰、色んな食べ物はごちそうでしたし。
(うちは本家で農家なので、来てくれた皆さんにお米をあげていました)
今年、実家では花瓶に一束の菊と金と桃色のお盆専用の造花があっただけです。
父が不自由な手つきで作ったと思われる、不格好なぼたもちか仏壇にお供えされていました。
お盆中、来たのは父の妹さんだけです。
私は『簡易でいいんじゃない?』と思うのですが、そこは古くからの仕来り。
口に出したら、また怒られちゃいますしね(´・ω・`)
煌びやかに仏壇を飾り付けするより、重要な事は一人一人が楽しく生活できている事だと思います。
仕事を無理に休んだりして、必ず行かないといけないと言うものでもないのです。
私は数年、お盆に参加していませんでした(´・ω・`)
それでも、感謝の気持ちや近況を報告したい時はお墓に行ってお線香をあげて手を合わせてきます(/ω\)
お盆が特別というわけじゃなくて、いつも見守ってくれている。
多分父の代で厳密なお盆(仏壇を紙で飾り付けとかおおずきをつけるとか・・・そういった細かい事)は無くなってしまうと思います。
小さい時の私『なんで、のんのさんに飾り付けするの~?』
祖母『のんのさんが帰ってくるからだよ』
小さい時の私『のんのさんは、いつも何処にいるの?』
祖母『空の遠くの方にいるんだよ』
そんな話を思い出しました。
遠くにいたら、私達の考えてる事や行動なんてお見通しだなって(/ω\)
実際私は、破天荒な本家の娘で、結婚もしない。子どももいません(`・ω・´)ゞ←昔は色々言われたけど、今となっては誰も何も言いません。
誰が後を継ぐか?とか誰が偉いとかそんなのは関係なくて、継ぎたい人が継げばいいし、継ぐ人がいなければ潔く辞めてもいいんじゃないか?と思うのです。
最後まで読んで下さって有難うございました(。・ω・)ノ゙色んな家庭があると思いますし、いろんなお盆の過ごし方があったと思います。一人一人が幸せな毎日を送っていたらご先祖様も喜びます。
お盆に限らずですが、楽しい毎日を送りましょうね☆十六夜結依菜でした☆
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